Fun!Fun! FANTASTICSと原宿ピテカントロプス
娘がおやつを食べたあと、日テレで放映開始したFun!Fun! FANTASTICSの録画を観始めた。
わたしも、何の気無しに一緒に観ていたら、チェッカーズの鶴久さんがゲスト出演されて、涙のリクエストやあの娘とスキャンダルを歌った。
平成生まれの娘はチェッカーズを知る由もなく、涙のリクエストももちろん知らない。
しかし、わたしは歌詞さえ見ればフルコーラス歌える。
歌詞が出ているので、鶴久さんやFANTASTICSと一緒になって歌っていたら、娘はあっけに取られ、「お母さん、チェッカーズって知ってるの?」と聞いてきた。
知っている。
当時、大学生になったばかりのわたしは洋楽にハマっていたので、特に歌謡曲に詳しくはなかったが、今と違って歌番組がたくさんあったし、普通にヒット歌謡曲と歌い手は知っていた。
しかも、デビュー直前のチェッカーズ郁弥さんと、たまたま原宿ピテカントロプスで同じ日に踊っていたことがあり、その日はたまたまananの取材が入っていて、後日郁弥さんが気になる男の子として(つまり無名の一般人として)スナップ写真が掲載された号を保管してあったのだが、なんとその男の子が大ヒット連発のチェッカーズとしてデビューしたものだから、なんとなくずっと気になる存在だったのだ。
平成生まれのFANTASTICSのメンバーたちが、80年代のわたしの記憶を蘇らせてくれた。
大学1年の原宿ピテカントロプスのことや、
高校2年の頃、テレビでは小林克也さんのベストヒットUSA、ラジオではFENのアメリカントップ40を欠かさずチェックしていたこと。
テレビ神奈川のファンキートマトが大好きで、植田芳暁さんとシャーリー冨岡さんの掛け合いや、津田明さんの波情報なんかを毎週楽しみにしていたこと(Fun!Fun! FANTASTICSにはマイケル冨岡さんも出演されていて、「マイコー」を知らない娘に、彼のことやシャーリーさんのことも話した)。
高校3年になると、興味がアメリカのヒット曲からヨーロッパのニューウェーブやオルタナティブ、パンクに移り、もはやテレビやラジオでは情報が手に入らなくなり、輸入盤のレコード店に行ってみたり、仲間を見つけたりしてどんどんオタク化していったこと。
来日したPILのライブを観に中野サンプラザに行くとき、同じ日に行く男性の同級生が化粧したいというので実家でわたしの化粧品を貸してあげてメイクをしたのだけれど、2人で駅まで向かう途中ご近所のおばさま方がギョッとした顔をされたこと、等々。
すっかり忘れていた記憶が次々と蘇る。
来週も娘はFun!Fun! FANTASTICSを録画して観るだろう。
そしたら、また一緒に観せてもらおう。
80年代90年代、娘には新鮮でわたしには懐かしい。
緊急事態宣言が延長になり、まだどこにも旅行できなくて意気消沈していたけど、楽しみができた。